The Focal Distance

若さとはこんな淋しい春なのか

ビリヤードの話

特に上手な方ではないし、上手ではないためによく知っている人に話を振られたら困るので、たとえば履歴書の「趣味」欄に書くこともないが、ビリヤードが好きだ。

ビリヤードにも実はいろいろあるのだが、日本で一番メジャーなのは(そして一般に「ビリヤード」と言われて想像するのは)ポケットと呼ばれる種類のもので、白い球を長い棒で撞いて、番号のついたカラフルな球を落とす、あのビリヤードのことだ。私もそれしか知らない。なお、白い球を「手球」、長い棒を「キュー」、カラフルな球を「的球」と呼ぶ。

ポケットでよくプレイされるルールとして、ナインボールとエイトボールがあり、使う球の個数からして異なるのだが、自分がミスをしなければプレーを続行できるという点は共通しており、自分が先攻ならば理論上は、そのまま相手に球を撞かせることなくゲームに勝利できる。これを俗にマスワリと言って、上級者はできるものらしい。

つまり、(ポケット)ビリヤードにおいては、少なくとも自分の順番が回ってきた段階で、もはや相手のプレーは関係なく、そこからは己の手技だけが要求される。何か余計なことを考えれば失敗する。私は到底そんなレベルではないが、その緊張感が心地よい。ビリヤードはよく「究極のメンタルスポーツ」などと言われるが、このような仕組みの競技だからだろう。

キューを持つ。チョークをつける。構える。手球を撞く。手球が的球に当たる。そのひとつひとつの動作の結果が、球がぶつかる快い音とともに即座に的球の軌道として反映される。的球がポケットに入るかもしれない。あるいは他の球に当たるかもしれない。クッションする(ビリヤード台の枠で球が跳ね返る)かもしれない。それが狙い通りならば気持ちいいし、そうでないならば何かが間違っているということだ。

だからビリヤードは、快活なスポーツというよりほとんど科学実験か、あるいは修行のように感じられる。私は運動神経がてんでなく、ほとんどすべてのスポーツを好んでいないのだが、それでもビリヤードが好きなのはそういう性質によるのかもしれない。ほとんどのスポーツは興奮や熱狂のなかでプレーしているように見えるが(いや選手は実際には冷静なんだろうと思うが)、ビリヤードはどこまでも淡々としていて落ち着く。

ビリヤードに運動神経が要らないのか、と言うと、あるに越したことはないのだろうが、ほかのスポーツほど要求されない、という実感がある。たとえば自転車に乗るにも運動神経はあった方が習得は早いだろうが、大抵の人はとりあえず不自由なく乗れるようになる。そういう感じがする。

自転車の乗り方と同じように、ビリヤードにも決まったフォームのようなものがあって、それを身につけることさえできればとりあえずある程度はできる。私は無手勝流のフォームなのできちんとしたフォームを身につけなければいけないと思っているが、まあその程度でもとりあえずプレーできる。

謙遜とかではなく、本当に大してうまくないので(ほとんどの人は私と同じ時間だけビリヤードをプレーしていたら私より遙かにうまくなっていると思うし、まずそんなに熱心にやっているわけではない)、あまりこういうことを述べる資格もないのだが、どちらかというと重要なのは目ではないか、という気もしている。視力というより、空間を正確に把握する能力というか。それがあったら有利だろうな、と思う。ちなみに私はそれもあまり良くないと認識しているが気にせずプレーしている。


ビリヤードを最初にプレーしたのは大学に入ってからだっただろうか。高田馬場・早稲田界隈は学生街ゆえ安いビリヤード場がいくつかあり、そして煙草が吸えたので、喫煙者の友人とのんびり煙草を吸ったりしゃべったりしながら何度も夜を明かした。夜を明かさないまでも、ちょっと空きコマが共通していれば大学の正門から歩いて3分のビリヤード場に撞きに行くというありさまだった。

二人ともまったくの初心者だったのだが、初心者が来ることを想定しているようなビリヤード場(たとえばネットカフェと一緒になっているところなど)は、親切にもルールやフォームの説明が書かれたチラシがあり、そうでなくても今時はスマートフォンで調べればわかることだったのでなんとかなった。

そこで熱心にはまる人は、たとえばビリヤードのサークルに入ったり、周りのプレーヤーに教えを請うたり、自分のキューを買ってビリヤード場に置かせてもらったりするのだろうが、二人ともそこまでのはまり方はせず、ただ素人同士でなんとなく球を撞いて、球がぶつかる音がすごくいいとか、煙草がうまいとか思ったり、まぐれでも「狙い通りだ」と強がってみたりするだけの時間を過ごしていて、いまでもほとんどそうなのだが、思い出したようにYouTubeなどでプロの解説動画などを見る程度の向上心は持つようになった。


ビリヤード場の常連の皆さんみたいに熱心に研究しているわけでもなく、そもそもいまは数ヶ月に1回くらいしかプレーしないのだけど、それでも十分に楽しいし、残念ながらほとんどのビリヤード場は今では禁煙になったけども、一生ゆるく付き合っていけそうな趣味ができてよかったと思っている。ビリヤードを一緒にやり始めた友人はいま神戸におり、なかなかプレーする機会もないので、ビリヤードに興味がある人はプレーしに行きましょう。うまい人は教えてください。

愛と効率のC&C 新宿本店

2年生の終わりまで大学に通うとき京王線の新宿駅を使っていた。西口地下広場に向かう改札を抜けるとC&Cの新宿本店がある。

C&Cは京王電鉄の系列会社が運営しているカレーチェーンで、店舗のほとんどが京王線や井の頭線の沿線にあるためそれらと縁のない人にはあまり知られていないが、ココイチなどと比べても低廉にカレーやトッピングを楽しむことができる。

特に新しい店舗はわりと広めで、テーブル席などもあって比較的落ち着いた雰囲気なのだが、新宿本店だけは立ち食い形式で、メニューの種類が少なく、また価格も一部安くなっている。立ち食い形式ということもあって、またターミナル駅の改札直結という立地もあって、かなり殺伐とした雰囲気があるのだが、私はそれが好きだ。

店の外に列をなしている場合もあるが、回転は極めて速いのですぐ順番が回ってくる。入口右手にレジがあり、ほかのC&Cは食券制なのだが新宿本店では口頭でメニューを伝える。そうすると店員さんが置いてあるマイクに向かって「唐揚カレーでーす」などと注文を繰り返し、それによってレジの奥にある厨房に注文が伝達される。レジの向こうにはちょっとした台があり、そこにも店員さんが待ち構えている。

その店員さんの役割は席までの案内と配膳、片付けである。注文を終えるや否や「右手奥の席にどうぞ」などと案内されるので指示に従う。大体指示のある頃にはカレーができあがりつつあり、厨房の人は台までそれを運ぶ。そうすると店員さんが台から席に持ってきてくれる。このような効率化されたオペレーションのため概ね入店から食事までは1分程度である。

カウンター形式の席には水の入ったピッチャー、福神漬、紅しょうが、紙ナプキンが1人につき1つずつ置かれている。よくラーメン屋などで、調味料やカトラリーが数席に1つしか置かれていないことがある。そうすると、座席次第では隣の客に遠慮しつつ胡椒やらニンニクやらラー油やらレンゲやらを取るはめになり、ややストレスであるが、ここではそのようなことはなく、水も福神漬も思う存分好きなタイミングで利用することができる。

さて肝心のカレーはと言えば黄色っぽいポークカレーであり、28種類のスパイスが煮込まれているというが、特に辛いというわけでもなくおそらくたまねぎに由来すると思われる甘味もある。全体的によく煮てあって具はほとんどないが肉は小さいながら形を保っているのが嬉しい。

食事後は食器などを返却棚に戻す必要はない。配膳をする店員さんが片付けと清掃もやってくれるからで、新宿本店は客の練度に期待するのではなく従業員が作業をすることで回転を早めるという思想のもとに営業されているのだと思う。


この一連のオペレーションがもっとも迅速なのは、私見では朝の時間帯である。午前11時まで、新宿本店ではご飯やルーの量が少なめの「朝カレー」を提供している。「朝カレーA」はソーセージがトッピングされていて380円、「朝カレーB」は新宿本店にしかない「ポークスティック」と温玉がトッピングされて470円である。私は常に朝カレーAを頼んでいた。

客の方も、朝っぱらからカレーを食べようという猛者が集まっていて、またなにかと忙しい時間帯でもあるので、だいたい熟練で端的に「朝カレーA」しか言わない。そうすると店員さんはマイクに「Aです」と言う。そうすると驚くほどの手際で調理されたAが台に置かれる。客のほとんどは背広を着た男性で一心不乱にカレーと向き合い、ものの数分で店を後にする。

1限や2限に行くことは私にはとても困難だったが、たまに行けるときはむしろかなり余裕を持って行っていて、そういうときは大体お腹も空いているので私は頻繁にC&Cで朝カレーを頼んでいた。そこには「24時間、働けますか」などと歌われた頃を彷彿とさせる、古き良き企業戦士としてのサラリーマンたちの姿があり、その空間でカレーをかき込んでいると、カレーという食事の性質も相まっていささか活力が湧いてくるような気がしたものだった。

そういった空気のなかでも客同士のコミュニケーションが生まれることはあり、私は店を後にする背広の中年男性に「これいる?」と言われてC&Cのサービス券をもらったことがある。先方は私の返事を待たずカウンターにそれを置いていった。サービス券は注文ごとに必ずもらえ、何枚か貯めると枚数に応じたトッピングと交換できるという代物で、私は朝カレーばかり食べていたものだからトッピングをつける余裕もなく財布に十数枚貯まっていたことがある。

サービス券は大学2年の夏ごろに姿を消し、スマートフォンを使って各席に置かれた端末でなにか操作をするとポイントがたまるという仕組みに変わったが、そのような悠長なシステムは新宿本店にはそぐわないものであり、実際、(偶然かもしれないが)それを使っている客を見たことはない。

また新宿本店だけのサービスとして、らっきょうのトッピングが無料で、つい先日までは福神漬などと一緒にらっきょうが置かれていた。私はらっきょうをそんなに好まないのでそれを利用したことはないのだが、いざなくなってみると特色がひとつ失われたようで悲しいものである。これも例の感染症がもたらした数ある災厄のひとつなのだろうか。

朝カレーAも以前は350円くらいだった気がするし、私の短いC&Cとの付き合いのなかでも多くのことが変化しているが、それでもカレールーは不変であり、店員さんの身のこなしは洗練されていて、応対は決して乱雑ではなくとても丁寧であり、トッピングの唐揚げはチープな味である。店内も多少殺伐としている一方で、客はカレーを素早く食べることのみを要求されているので安心して流れに身を任せられる、というスタイルは相変わらずで、私はこれからもここでカレーと向き合い続けるのだと思う。

下北沢・ハードロックカフェ

ハードロックカフェという、ハンバーガーなどアメリカ料理を出す店がある。世界中に展開していて、日本だと六本木や上野で見たことがある。ロゴと店のある地名が記されたTシャツが、国内国外問わず各店舗で販売されていて、それをコレクションしている人もいる。

先日、アロハシャツでも買うかと下北沢の古着屋を見ていたところ、そのハードロックカフェのTシャツが並んだコーナーがあった。グアム、サンディエゴ、コペンハーゲン、ジャカルタ、大阪など世界各地の、いろいろなデザインのTシャツが置かれていて、こんな種類たくさんあるんだとか、これに4,400円出さないなとか思ったりしながら興味本位で見ていたら、店員さんが話しかけてきた。

その古着屋は大阪(たぶんアメリカ村あたり)が発祥のようで、店員さんも関西のアクセントだったためか、なんと言っていたかぱっと聞き取れなかったのだが、「あ、はい」と適当に受け流すと、「結構集めてらっしゃったりするんですか?」と尋ねられる。なるほど。

おそらく最初に言っていたのは「ハードロックカフェ好きなんですか?」とかその類の質問なのだろう、と理解した。俺はもうこの店員さんにはハードロックカフェが好きな人間として認知されている。この文脈なら、そのTシャツが好きな人間として認知されているのかもしれない。この状態で「集めている」と答えれば、見込み客としてもっとプッシュされるかもしれないし、かといって完全に否定するとそれはそれで奇妙な人間である。

というわけで、「え、まあ、少し……」と微妙なぼかし方をする。実際にはハードロックカフェは別に好きでもないし、Tシャツなんか1枚も持っていないわけだが、後から思えば、この返答だと結構集めている人間が謙遜して答えているように聞こえる気がする。店員さんもそう思ったのかもしれず、「世界中のですか?」と追い打ちをかけてきて、「いえ、あの国内ですけど。機会があれば」みたいな訳のわからないコメントをする。

こうして、俺は晴れてハードロックカフェのTシャツ(国内のもの)を機会があれば集めている人になったのであった。店員さんは営業スマイルを崩さず「そうなんですね〜、たくさん揃えてるのでごゆっくりご覧ください!」と言ってどこかへ行った。俺は洋服が並ぶ狭い店内を縫うようにして店を後にした。

夜風はぬるく、街には流行病など忘れたかのような陽気な若者があふれ、道のあちこちで車座をなして酒を飲んでいた。それでもカルディの店頭にはコーヒーを勧める女性店員がいない。俺は、つく必要もない噓をついてしまった、と思いながら喧噪を通り抜けた。暑い夏だった。きんきんに冷えたコーラが飲みたかったが、下北沢にはハードロックカフェはなかった。

考え方と行動の指針(2021年9月)

最近、自分がどう物事を考えて何を選び、行動するか、ということがようやく言葉にできるようになってきたので、記録しておく。これはまだぼんやりとした発想の段階で、論理の飛躍や不適切な例示などがいくらでもあるかもしれない、いわば下書きである。

また、当然不変のものではなく、1年後には全然違う考え方をしているのかもしれないし、とにかく現時点での指針に過ぎない。


社会が極端な方向に振れることがある。そういったときには個人の選択肢が狭められ、その結果同質な集団が生まれ、競争が阻害される、と考えている。社会が極端な方向に振れる一例が戦争であり、社会(ここでは国)を挙げて戦争の勝利に邁進しようというときには、個人が何をするかという選択の幅が狭くなるというのは想像できる。

AとĀがあってこそ競争が生まれ、その結果AもĀも質が向上していく、という前提があり、そのためにはある個人はAをするかĀをするか選べなければいけない。戦争が進歩を生み出さないかと言われれば、必ずしもそうではなく、たとえば技術は進歩したかもしれない。でも文化はどうだろうか。技術(特にある特定の分野)の担い手は戦争の遂行に必要であるとしてそれをすることを選べたが、文化の担い手は(よほど地位を確立していなければ)、たとえば絵を描き続けることができただろうか。技術者であっても、美術家であっても、研究所やアトリエに焼夷弾が降り注ぎ、物流網もずたずたであるというような事態になってしまっては、どの道効率的に開発や創作を進めることはできない。

戦争の遂行という点で言えば、技術と文化はある程度違う方向を根ざしたものかもしれないし、平常時でもそう思われているかもしれないが、ある文化、たとえば人が人と話すという文化をもとに通信の技術が生まれたように、逆にある技術、たとえば新幹線が開通したことで東京の楽団が気軽に大阪で演奏できるようになったように、互いに関連して、その成長や拡大に貢献している。

そういう意味で、社会全体が極端な方向性に触れることなく、安定した中庸さが保たれていた方が、技術をやりたい人は技術をでき、文化をやりたい人は文化をできるわけで、それが技術と文化の成長に互いに寄与し、そしてそれに従事している際も人は選択の自由を享受できる。私はそのような社会、個人の選択肢が可能な限り担保される社会の方が望ましいと思っている。それは個人の幸福という観点からもそう言うのだし、結果的には社会全体の品質を向上することになると思う。


技術と文化、というのは非常に大づかみだが、先ほどの戦争の例をまた借りれば、技術のなかでも重宝されるもの(プロペラの形状を変更させて効率的に揚力を得る技術)と、重宝されにくいもの(より緻密で豪奢な和紙を製造する技術)があると思う。一見重宝されにくい技術であっても、実は応用の幅があって、緻密で豪奢な和紙が爆弾を梱包するのに適しているというようなこともあるのかもしれないが、社会の安定と中庸さが損なわれている状況では、そのような活用法に考えが及ばず、近視眼的に航空工学だの通信技術だのに積極的な資源と人材の配分が行われるのではないだろうか。

もし社会の安定と中庸さがかなりの期間維持されているならば、航空工学も和紙の製造も(需要に応じた)研究開発がなされ、その結果としていざ、社会が極端な方向に多少振れざるを得ず、それに対処する必要がある事態——たとえば新興感染症の流行など——が起きたときにも、それらの果実をうまく利用して対処がしやすくなるように思われる。

たとえばコロナ禍では、IPAという国の組織が開発費65万円で「シン・テレワークシステム」というシステムを即座に開発し、提供できた。今では民間企業や自治体など数十万以上のユーザーがそれで自宅にいながら職場のコンピュータを利用できている。これは、登大遊氏などの技術者が、安定した中庸な社会1で自らの興味関心に応じてさまざまな技術を磨いていたから可能だった芸当だろうと思う。もし彼が軍隊にいて、そこでは個人の選択肢が大幅に狭められていて、あるコンピュータの軌道計算のバグを修正するというような業務に終始せざるを得なかったとしたら、いざ戦争が起こってもそれ以上のことはほとんど何もできなかったのではないだろうか。


だから、社会である観念が主流になりつつあるとき、とくにそれが急進的な変化で、一定程度の人数の選択肢を狭めるものであるならば、私は基本的にはそれに対立する考え、またはそもそも二項対立ではない別の選択肢を考えて、実行することを目指す。

規範のようなものは、どの道漸進的に変化するものではある。ただその変化が現在の価値観から見て極端で、かつ急進的な変化の場合、それによって自分の選択肢を狭められると感じられる人がある程度発生するのではないかと思う。個人の道徳のようなものは必ずしも急進的な変化に対応できるとは限らないし、個人の積み重ねてきたキャリアはなおさらそうである。

極端な変化には極端な揺り戻しも伴いがちであり、それは「鬼畜米英」から「ギブ・ミー・チョコレート」の変化に喩えられる。あるいは「原子力 明るい未来のエネルギー」から「原発即時停止」でもいいかもしれない。そういった極端な変化において犠牲になる個人というのは必ずいて、鬼畜米英の時代に満州で富を築いた実業家はその多くを後に放棄したかもしれないし、原子力工学の研究者として独り立ちすることを目指していた大学院生は働き口が急減したのかもしれない。

じゃあ、戦争を続けていればよかったのか、あるいは原子力発電所を止めなければよかったのか、という話ではない。そもそも、「鬼畜米英」のような極端なイデオロギーで社会を構成するべきではなかったし、「明るい未来のエネルギー」といった夢のようなフレーズで原発に安全神話を持たせるべきではなかったのだ。


急進的であっても、多くの人の選択肢をあまり狭め得ない種類の変化というのはあると思う。たとえば普通選挙の導入は、日本では戦争に負けたために突如行われたものだが、普通選挙によって男性は投票をするかしないか、するなら誰に投票するかという選択肢を特に狭められていない。むしろ所得制限がなくなったのでより多くの男性が選択肢を得られるようになった。女性は言わずもがなである。私はこのような変化に対しては、「普通選挙の導入に反対」などと運動を起こしたりはしない。2


今までの論を整理する。

安定した中庸さを持つ社会では、個人が何をするかを比較的自由に選択でき、集団として多様性が保たれ、その結果分野内または分野間の競争が促進され、社会全体の品質が漸進的に向上していく、と認識している。

逆に急進的な変化は、それが個人の選択肢を狭める場合は均質な集団を生み出しやすく、その結果競争が阻害され、社会全体の品質は(ごく一部の配分に恵まれた分野を除いて)向上していかないか、低下することにつながると考えている。

そのため、社会において急進的な変化が、個人の選択肢を狭めるような形で起こり得るときは、それに対立する形、あるいは土俵の外にあるまったく別の形(両方とも「オルタナティブ」と言える)を考えて、実行することを目指す。

これが、現段階での私の考え方と、そして何をして何をしないかの指針である。指針はあくまで指針であり、私のそれとは別の趣味や嗜好のようなものもあるので、実際の考えや行動にはそれも影響してくるが、今まで考えたり行ったりしたことを思い起こしてもおおむねこのような考えや指針に沿ってきていたと思われるし、それがようやく自分で言葉として理解できる形となった。

これは自分のためのメモで、公開する必要もないのだが、冒頭に述べたとおりまだ荒削りなものなので、参考になる資料や反例、違和感のようなものがあればご教示いただければ幸いのため、インターネットに載せることとした。


  1. ここで直接的に貢献するのは、世の中というよりは大学や法人などのもっと狭い世界が主だが、そのような大学や法人が維持できているのも安定して中庸な社会があるためである。

  2. 今のところそのような考えは持っていないが、間接民主制が個人の選択肢を狭めているというような認識を得たときには、選挙そのものに対するオルタナティブな考えを実行する可能性はある。

暗記がめちゃくちゃ効率的だけどもう暗記できない話

平安時代と鎌倉時代はどちらが先だったっけ、とふと思ったときに脳内で「奈良平安鎌倉室町安土桃山」という文章が読み上げられた。これは中学のときに塾で、国語の古典分野の入試に対応するために、音読して暗記させられた時代区分の順番で、つまり平安時代と鎌倉時代では平安時代が先である。

私は日本史を全然覚えていない。まあ明治維新以降ならなんとなく流れわかりますけどね、みたいな感じで、平安時代についてぱっと思い浮かぶのは紫式部で鎌倉時代についてぱっと思い浮かぶのは六波羅探題、以上。紫式部と六波羅探題だけで歴史の流れを推測するのは無理で、冒頭の一節を覚えていなかったら平安時代と鎌倉時代がどちらが先かは(まあ平安かな? なんとなく……)くらいのもので、確信を持って答えることはできなかっただろう。

そのような歴史認識を持っていることからも判るとおり私は普段の生活で歴史の知識を全く要求されないのだが、「奈良平安鎌倉室町安土桃山」という一節をまだ覚えている。思えば中学、あるいは高校くらいまでの頃は何事もぱっと暗記できた気がして、それがマジで効率的だったなと思う。丸覚えをすると余計な頭のリソースを使わなくて済む。何かを理解するのに必要な知識にたどり着くまでの時間が少なくて済むので、理解するのが大変じゃなくなってくる。

「暗記は本質的な理解を妨げる」という言説があるし、そりゃ私だって平安時代から鎌倉時代に至る流れをきちんと理解していて、だから平安が先だよねと言えた方がいいと思う。でも、例えば英語の文章を読むことを考えると、「loveか……。loveってなんだったっけ」などといちいち辞書を引くより「love」を見たら「愛」と、考えるまでもなく判るほうが英語の文章をハイスピードで読めることが想像つくだろう。これと同じようなことがありとあらゆる分野で起こる。平安時代から鎌倉時代に至る流れを勉強するのに、「奈良平安鎌倉室町安土桃山」と丸覚えしてしまっていることは妨げにならず、むしろ理解を促進すると考えている。だから特に初めて学ぶ場合は何かしらをばーっと丸覚えしてしまうのが効率的じゃないだろうか。

で、暗記が効率的ですという話はいいのだけど、マジでヤバいのがどんどん丸覚えみたいなことができなくなってきていることだ。たとえば私は山手線の駅名(内回り)を全部言えるんだけど、これは幼稚園の頃にNHKで流れていた「クインテット」という番組で鉄道唱歌の替え歌で山手線の駅名を全部歌うという曲があったせいで、それをたまに見ていただけでそのあと十数年間山手線の駅名を覚えられ続けているのだから、幼い頃は本当になんでも丸覚えできたんだなと思う。冷静に考えると日本語の語彙そのものを急速に丸覚えしているのだからそれくらい造作はないのだろう。ちなみに山手線の駅名(内回り)が全部言えるといったけど高輪ゲートウェイ駅ができたせいでどこに高輪ゲートウェイが入るのか判らなくていまは全部言えない。でも高輪ゲートウェイに行く用なんてないし実質的には全部言えるようなものだと思う。大体品川だろ? みたいな理解はしている。

その暗記力はさきほど言ったとおり高校くらいまでは衰えながらもあって、それで大学受験をなんとか乗り切っている。例えば英語とかは、基礎的な文法(文型、時制、動詞の活用、助動詞、接続詞、関係代名詞、不定詞、比較級くらい)をざっくり理解しておけば、あとは単語さえ知っていればほぼ文脈でいけるだろみたいな考えがあり、実際それで内容は読み取れるので、私立文系に出がちなわけわからん文法問題はよくわかんねえけど読解は全然OKみたいな感じで試験を解いていた。社会科は「政治・経済」という科目を選択していたんだけどこれは全部暗記でいける。

暗記するための技術もそのとき既に確立していて、それは何かというとなんとなく覚えるべきことが書かれたリストみたいなものを3回くらい読んで、それであとは一問一答みたいな感じで問題を解き続けるというやり方で、これはマジで効率がいい。リストがないものは自分でリストをつくり、Ankiというアプリに全部ぶちこむことで対応していたんだけど、日本の受験業界というのは非常に洗練されているので、その必要があるものはほとんどない。既にあるリストを使うことで大体カバーできる。英単語帳とか一問一答はその最たるものだ。

そういうわけで昔は暗記する力もあったし暗記すべきものリストみたいなものもあったしで、楽勝だぜみたいな感じだったんだけど、だんだんそうでもなくなってきている。そうすると何かを理解しようとするときにいちいちそれに必要なことを調べたりがんばって思い出したりしなければいけない。これはめんどくさい。めんどくさいと理解を諦めてしまう。

これの解決法みたいなものは特に見いだせていないんだけど、暗記するリスト作りを効率化するか、調べ物を効率化して暗記しないでも即座にわかるみたいな環境を整えるかのどちらかだろうと思うし、多分どちらも必要で、かつ技能として重なる部分はあると思う。だからこういった技能に関する知見をめちゃくちゃ集めています、よろしくお願いします。

「ていねいな暮らし」以外

「ていねいな暮らし」に対して、次のような批判がよくなされる。

曰く、「ていねいな暮らしは、社会を改善しようとせずに自分の生活を工夫することで悪い状況を乗り切ろうとする行為で、それは体制に荷担しているようなものである」——というような論だ。それはおそらく正しいだろう。

『暮しの手帖』を創刊した花森安治は戦時中、「ていねいな暮らし」的な生活によって「銃後」をまっとうしようと呼びかけていたのだし、現在の「ていねいな暮らし」が大好きな人がみんな愛読していそうな『ほぼ日』の糸井重里なんか、昨今の感染症に関連して「責めるな。自分のことをしろ」とツイートして炎上した。まさしく、という感じである。

私自身だって、「ていねいな暮らし」はどことなく鼻につくと思う。なーにがていねいな暮らしだよ。こっちには暮らし自体が存在しないんだぞ。まともな生活なんて全然していない。でも一方で、ていねいに暮らせたらおそらく楽しいだろう、精神が安定するだろう、とも思う。

マクドナルドに行って何がどう加工されたのかさっぱりわからないようなジャンクフードを食べるより土井善晴の本でも読んで新鮮な野菜を農協の直売所で仕入れて一汁一菜をつくったほうがおいしいに決まっているし、また充実しているに決まっているし、それが本来自然なのかもしれない。それをしないのはただ私にはいまその余裕がないだけだ。余裕があってもそんな生活力はないかもしれないし、やっぱり鼻につくのでやらないかもしれないが。

だから、上のような批判に対して思うのは、ではこのクソみたいな社会状況で自分で生活を工夫することなくどう人生を楽しんでいけば良いのか、ということである。「ていねいな暮らし」以外の活路はどこにあるのか?

Twitterで社会や政治に対して常に怒っているように見える人は(私もその傾向は否めないが)やはり人生が楽しそうには見えないのだし、かといって生活も政治も俺には関係ないねというような顔をして虚業に邁進し六本木で遊び歩いている人にもまったく憧れることができないし。

今のところの自分の答えとしては、月並みだが、おそらく結局はバランスなのだろうと考えている。ほどほどにていねいに暮らしつつ、ほどほどに家系ラーメンでも食べつつ、ほとほどに金を儲けつつ、ほどほどに政治に文句を言いつつ、という。それがいいのだろう。そして多くの人がおそらくそれを採用しているのだろう。美しき中庸の世界よ。

でもその「中庸」だっておそらく「ていねいな暮らし」の変奏に過ぎないのであって、信奉するイデオロギーが違うか、もしくは単にイデオロギーがない、ということではないだろうか。結局「中庸」を取ろうが「ていねいな暮らし」を取ろうが人生は充実させられるのかもしれないし、しかし社会は依然としてクソである、ということにならないだろうか。

そのようなことを考えると、「ていねいな暮らし」はおそらく社会にとっての正解ではなく、かといって「ていねいな暮らし」以外の活路も見いだせないし、そもそもこれが活路である、と思えるようなやり方などないのかもしれない。社会を変えるというのも抽象的に過ぎ、いずれにしたって1人の人間の手には余ることだと思ってしまうしなあ。全然考えがまとまらない。何も判らない。

なお、「ていねいな暮らし」を採用するかどうかとかで迷える時点でかなり余裕のある悩みだろう、というのは承知している。たとえば毎日長時間労働や低賃金に苦しんでいる人、家庭環境に苛まれている人などはていねいに暮らす余地など端からないと思われる。「ていねいな暮らし」を視野に入れることもできない人々がクソみたいな社会状況の本当の被害者だろう。

102のこと

 俺は父親の顔を知らなかった。今でも知らない。知りたい、とは少し思うが興信所に頼むのに必要な手間や金銭的な損失を厭わなくなるほどではない。どうせろくでもない奴だろう。既にどこかで野垂れ死んでいるのかもしれない。それさえもわからない。
 父親がどういう人物かはどうでもいい。重要なのは父親の不在だ。そしてもうひとつ重要なことだが、母親は美人だった。息子が、自分の母親を美しいと形容するのはナルシシズムのようなものが感じられて抵抗があるが、その躊躇いもなくなる程度には。
 実際、幼い子供、つまり俺を連れていても頻繁にナンパされていた。子を伴う女に声をかけるというのは、どういうつもりなんだろう、と今は思う。仮にそれが首尾良く運んだらどうするのだろうか。一緒にディズニーランドでも行って疑似家族団欒をやるのだろうか。
 実際にそれをやった男がいた。さすがにディズニーランドではなかったが、ロイヤルホストに行った。俺からすれば似たようなものだ。どちらも必要以上に高い。
 普段ナンパをすべて、完膚なきまでに無視していた母が、どうしてその男にはついていったのかわからないが、幼稚園児には機微のわからない繊細なコミュニケーションの末、母はその男と一緒に暮らし始めた。俺も否応なくそうなった。

 一緒に、と言ったがそれは正確ではない。母と男は同じアパートに住んだが同じ部屋ではなかった。母と俺は202号室に、男は102号室に住んだ。だから母は男のことを「102」と呼んだ。俺もそう呼んでいた。
 102は子供は嫌いではなかったらしく、俺に優しかった。よくミニカーや図鑑を買い与えてくれた。母にはもっと優しく、というかほとんど言いなりだった。母が「米を買ってきて」と電話すると買って202号室に届けてきた。米を運んできた102に「皿を洗って」と言えば洗った。
 母は102と結婚しなかった。恋人と呼べるような関係だったのかもわからない。俺は自分に父親がいないということを既に理解しており、102が父親ではないということもわかっていた。母にとっては配偶者の、俺にとっては父親の不在を代替するような存在ではなかった。しかし部分的にはその機能を果たしていたし、果たしている部分については一般的な父親よりはるかによく果たしていた。

 しばらくそういう奇妙な生活が続いて、俺は小学校にあがった。その頃には102が202号室に来るだけではなく、母と俺が102の部屋(つまり102号室)に行くこともあった。なぜかその部屋の光景をはっきりと覚えていて、それは長ずるにつれてよく目にするようになった部屋と似ていた。若い男性の一人暮らし、という言葉からイメージされるよりかは多少きれいなものだ。わりと几帳面な方だったのだろう。102の部屋にはプレイステーションがあって、3人でよく桃鉄をやった。
 桃鉄、桃太郎電鉄は日本列島を舞台にした双六ゲームで、プレイヤーは鉄道会社の経営者となり、ランダムに決められる目的地に一番早く着くことを目指しつつ、道中で不動産を購入したり、特殊な効果のあるカードで他のプレイヤーを妨害したりして、最終的に定められたゲーム内でのターン数を終えたときにもっとも総資産が多いプレイヤーが勝利する、というゲームである。
 俺はそれを通して日本の地理を把握したと言っても過言ではない。母は桃鉄が強く、よく俺や102に大勝していた。今思えば、102はよく俺にも負けていたので手心を加えていたのかもしれない。ゲームで102を妨害することで嗜虐的な精神が満たされるのか、母の現実の振る舞いはいくらか優しいものになり、以前のような苛酷な要求をすることはなくなっていた。少なくとも、お米を買いに行くのと皿を洗うことを続けざまに頼まなくはなった。

 そのような安穏とした日々が続いていたのだが、ある日、学校から帰ると母が「102とはもう会えない」と告げた。俺は102にかなり懐いていたので悲しくないわけではなかったが、同時に102とずっと一緒にいるわけでもないのだろう、とどこかで理解していて、それほどの衝撃を受けたわけではなかった。その日、プレイステーションと桃鉄を買ってきて母と俺とCPUで対戦した。十分に楽しかった。

 102号室は数ヶ月の間空き部屋となっていたが、しばらくして三十路のサラリーマンと思しき男が住み始めた。その人が2代目の102だ。俺の認識しているところでは、当初は母と何ら関係のないただの一人暮らしの男だったのだが、なぜか彼も母に尽くすようになってしまった。102(初代)がいなくなったことより102(2代目)が現れたことの方が衝撃だった。102(2代目)は102(初代)より少し無愛想だったが、やはり優しい人だった。
 中学に上がる頃、102(2代目)は北の方へ引っ越したと告げられた。それがなんらかの不和によるものなのか、先方の事情によるものなのかはよくわからない。102(2代目)はそんな義理もないだろうにいくばくかの金を残していったらしく、母はそのお金を「遺産」と呼んだ。おそらく死んではいないので不謹慎にもほどがあるが、そういう種類のユーモアを好む人だった。母がどこからか定期的に手に入れてくる金と、その遺産で母子家庭のわりには恵まれた暮らしをしばらくした。

 102号室はといえば、また数ヶ月空き部屋となって、今度は女性が引っ越してきた。彼女は有り体に言えば水商売風の身なりの人で、実際には何の仕事をしているのかはよく知らないが、とにかく102(3代目)にはならなかった。102という存在はもうないのだな、と102(初代)や102(2代目)のことをときどき思い出した。
 俺の高校受験と前後して、女性は引っ越していった。志望した高校に無事に合格し、入学式を迎える頃、102号室に男性が引っ越してきた。四十路くらいだろうか、年齢は判然としないが50は行っていないだろうというくらいの人で、背広を着ている姿を見たことはない。髭を生やしていて、なんらかの業界の人、という感じだった。
 後に判ることだが、彼は実際に業界人で、フリーランスとして映像制作の仕事をしていた。なぜそんなことが判ったかというと、彼が102(3代目)になったからだ。そうなったと知ったときは、母に対する畏怖と尊敬が同時にやってきた。

 母も年を取って丸くなり、また安定を求めるようになったのか、俺が成人するのを待って102(3代目)と結婚し、郊外のもう少し広いマンションに引っ越して同居するようになった。こうして3代に渡った102は本当にいなくなり、母は彼を名前で呼ぶようになったのだが、俺はかたくなに102と呼び続けた。
 102(3代目)としては、お父さんとか、それは無理でも名前で呼んで欲しかったようだが、もはや俺には102は102でしかなく、むしろとってつけたような「お父さん」とか「親父」なんて呼び方より遙かに親しみを持てたのだが、102(初代)が一番好きだったとか、もう102号室にはおそらく別の人が住んでいるとか、いろいろなことを考えて、大学を卒業する頃には102と呼ぶのをやめた。

 いまは608と呼んでいる。これが彼にはふさわしいと思う。